3限の演劇論では「魔術師たちの跳梁跋扈」と題してお話ししました。

 11時32分の各駅停車東京行きで移動を開始しました。車中では演劇論と4年の卒業研究が待っています。車中では幸い座席を確保できたのでドミニック・ローホーさんの『「限りなく少なく」豊かに生きる』(講談社)を読みました。その中にこんな言葉が有ります。「執着とは不足を示すサインである。もしわれわれのうち誰でも他者をまったく必要としなければ、他者と一致団結しようとなどは考えないはずだからだ。他者に対しあまり執着しないこと、これは「無関心」とは異なります。他者との関係を「ゆるめ」ましょう。いちいち評価したり、批判したり、相手の行為を認めたりというような干渉をする必要を感じないでいること。」と有りました。南越谷で下車して東武スカイツリーラインの11時54分の南栗橋行きに乗りました。大学には12時10分に着き2限の終了のチャイムが鳴ったところでした。構内の自動販売機で南アルプスの天然水を買い、研究室で今日のハンドアウトを確認しておきました。3限の演劇論では「魔術師たちの跳梁跋扈」と題してお話ししました。宇宙は「神」「天使」「惑星」「自然界」の四つの領域が上から下へと連鎖していると考えられた(存在の大連鎖)。「自然界」は火・風・水・地の四大元素からなり、各要素はこの順で重くなる、とお話ししました。魔法をかけられた妖精の女王タイテーニアが、お供の妖精たちに囲まれ目覚めたが、最初に目にしたロバの頭をつけた職人ボトムに恋してしまい、恍惚としてまつわりついていると言うクライマックスもお話ししました。4年の4年生のゼミでは大澤真幸の『巫女の視点』を輪読しました。行為したり経験したりしている当人にとって、今行なっていること、その出来事が「把握しがたい不合理」と立ち現れることがある。身体的な水準において現に行なっていることと、言語的な水準で把握していることの間に「ずれ」が有るからだ。表層の視点を否定し、もう一つ別な視点に移らなければならない。それが「他者の視点」だと言うことを学びました。学生諸君の近況を尋ねたら「最近の就職活動ですが、すでに五社も落ちてしまい、このまま就職できるのか不安です。卒業したら、絶対に新潟の実家に帰ると伝えてあります。」「教育実習も終わり、試験本番まで一カ月を切りました。が、何故かラストスパートを掛ける元気を失くしつつ有ります。」「月曜日に髪を切りました。髪を切るのが好きではありません。大切に育てた野菜を他の人に収穫されたような気持ちになってしまうので。」と有りました。