文学の第10回では「『道草』を読む」と題してお話しする予定です。

 11時2分発の南船橋行きで移動を開始しました。車中では幸い座席を確保できたのでドミニック・ローホーさんの『屋根ひとつお茶一杯』(講談社)を読みました。「「空間」とはなんと豊かな言葉でしょう! ただし、住まいに関しては面積と混同しないようにしましょう。というのも、「スペース」は必ずしも面積を意味するものではないからです。狭小住宅でも設計が優れていれば、その面積の倍はある別の物件よりも広く見えることもあるのです。大切なことはその空間が最大限に活用されていることと、それがもたらす生活の質です。「足りないものも余計なものもない」という考えをベースにていねいに設計された空間、このような空間こそが心穏やかで整然とした生活を可能にしてくれるのです。また音楽家は楽器演奏のできる防音装置のあるスペースを必要とするでしょうし、日曜大工をする人には作業場がいります。しかし、その空間は広さではなく、その場所が最大限に活用されることなのです。」と有りました。東武スカイツリーラインに向います。11時24分の南栗橋行きに乗り、北越谷で下車しました。大学には11時40分に着き、出津橋に付いたら、第8回デジブリッジ展が開催されていました。文教の学生のデジタルカメラ愛好会の写真が並べられていました。多文化準備室の助手のMさんに次回のハンドアウトを手渡しておきました。「レ・ミゼラブル」で行く予定です。文学の第10回では「『道草』を読む」と題してお話しする予定です。大学図書館で『道草』の資料を探したのですが、残念ながら、目ぼしい資料は見つからず手ぶらで帰ったものです。明日の文学では「『道草』を読む」では「或日彼は誰も宅にいない時を見計って、部細工な布袋地区の先へ一枚糸を着けて、餌とともに池の中に投げ込んだら、すぐ糸を引く気味の悪いものに脅かされた。彼は水の底に引っ張り込まなければ已まないその強い力が二の腕まで伝わった時、彼は恐ろしくなって、すぐ竿を放り出した。そうして翌日静かに水面に浮いている一尺余りの緋鯉を見出した。彼は独り怖がった。」と有りハイデッガーの不気味なものと関連づけて語るつもりです。最終章の「世の中には片付くなんてものは殆どしりゃしない。一遍起こった事は何時までも続くのさ。ただ色々な形に変わるから他にも自分にも解らなくなるだけのことさ」「おお好い子だ好い子だ。御父様の仰る事はなんだかちっとも分かりゃしないわね」と細君はこう云い云い、幾度か赤い?に接吻した。」と言う最終章の言葉も学生諸君に伝えるつもりです。