Bunkamuraザ・ミュージアムで「ボッティチェリとルネサンス フィレンツェの富と美」を観賞しました。

 午後は12時1分の快速新木場行きで移動を開始しました。車中では幸い座席を確保できたのでドミニック・ローホーさんの『「限りなく少なく」豊かに生きる』(講談社)を読みました。その中にこんな言葉が有ります。「人はみな、人生で必要なものすべてを載せた盆と生れてくるのだよ」と、ある日本人が私に教えてくれました。しかし、それだけでどれだけの人が満足しているのでしょうか? 恋愛、名誉、美などは逃げていく宝。それを追い続けるのも疲れるし、自分を見失いかねません。実際、この世で私たちが本当に所有できるものは何ひとつないのです。何もないことを味わう、いやむしろ「自分の存在を楽しむこと」でしょうか。と有りました。渋谷で下車して文化村に向います。Bunkamuraザ・ミュージアムで「ボッティチェリルネサンス フィレンツェの富と美」を観賞しました。今日は最終日と言うことで大勢の観客が来ていました。サンドロ・ボッティチェリの「ケルビムを伴う聖母子」が有り幼子イエスを抱いている聖母が金色の光に包まれて天使たちに取り囲まれています。背後に聖母と幼子を智天使が取り囲んでいます。マリヌス・ファン・レイメルスヴァーグに基づく模写の「高利貸し」はいかにも醜悪そうな表情をした二人の高利貸しがいて、この職業は不要なものなのだと言うことを暗に示しているような気がしました。サンドロ・ボッティチェリの「受胎告知」は大天使ガブリエルがマリアへの受胎告知を告げている画面で良く見ると大天使ラファエルが魔除けの魚を持った少年トビアスの手を引いています。フィレンツェの画家の「出産盆」にはパネルに寄ると子どもの誕生を祝う儀礼で使用されたそうで「愛の園」には永遠の生を象徴するオレンジとマツの木が描かれています。裏面には裸の少年とガチョウが描かれていました。帰路は新宿で下車して東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館で「ユトリロとヴァラドン 母と子の物語」を観賞しました。1000円のチケットを買って42階の会場に上がるとスュザンヌ・バラドンの「編み物をする若い女」が有り指先に意識を集中してている女の肖像が有り、一事に熱心になっている姿は美しいですね。シュザンヌ・バラドンの「自慢の愛犬」が有りパネルに寄ると「最愛の友であり、私の自慢だった愛犬の死。」と書かれていて死んでしまったことが分かったものでした。モーリス・ユトリロの「サン=ピエール教会とサクレ=クール寺院、モンマルトル」は白亜の聖堂が建っていて、12世紀に建てられたパリで最も古い教会の一つだと有りました。スュザンヌ・バラドンの「モーリシア・コキオの肖像」は迫力が有りますね。豊満な肉体を肩や胸まで広げて、百合の花を前にしています。パネルに寄ると結婚前はサーカスの曲芸師をしていたそうで、シュザンヌ・バラドンと親しかったそうです。シュザンヌ・バラドンの「花瓶の中のリラの花束」はいつ見てもうっとりしてしまいます。リラの花が青く染まって花瓶に生けてある画面で青い葉も付いていて美しいですね。収蔵品コーナーではピエール=オーギュスト・ルノワール「帽子の娘」同じ作者の「浴女」ポール・セザンヌの「りんごとナプキンフィンセント・ファン・ゴッホの「ひまわり」などを楽しんで東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館を後にしました。