東京ステーション・ギャラリーで「鴨居玲 踊り候え」展を観賞しました。

 11時41分の快速新木場行きで移動を開始しました。車中では幸い座席を確保できたのでドミニック・ローホーさんの『屋根一つお茶一杯』(講談社)を読みました。その中にこんな言葉が有ります。「あるインタヴューで、女優のアンジェリーナ・ジョリーが、あれほど富も名声も手にしているのに、ふつうの生活を送るのが夢」と言ったことに、私は彼女の極めて誠実な人柄を見たように思いました。それは心の内面に渦巻くさまざまな欲望の奥底に、透明で自然な空間を本質的に必要としているということです。そこではエネルギーが分散されることもなく、葛藤や打算的な思惑も生じません。」と有りました。赤羽で下車して11時57分の快速大船行きに乗りました。東京で下車して丸の内北口に向います。改札を出ると「鴨居玲 踊り候え」展をやっています。これで三度目になるのですが、毎回新しい発見が有り飽きることは有りません。先ず900円のチケットを買って三階に上がると「夜(自画像)」が有り19歳の自画像で鴨居が厳しい顔をした自画像で彼の厳しい道のりを暗示していました。「石(教会)」は教会の上に一個の巨大な石が浮かんでいる光景で超現実主義的な
絵画になっていてあり得ないような気がしました。パネルに寄ると厚い壁に閉ざされた教会は鴨居に取って入ることのできない世界であり石はその象徴と思われると有りました。「風」は白髪の老婆が杖を付いて歩みを進めています。背後には巨大な十字架が聳えていて、彼女の宿命を暗示しているものと思ったことでした。「パリ郊外の教会」は茜色の光の中で教会がひっそりと建っている光景で何故か懐かしい気分にさせられました。「旅」は大きなバッグを手にして歩み出そうとする人物が描かれていて、万人の人生を象徴するものだろうと思ったことでした。東京ステーション・ギャラリーで鴨居「踊り候らえ」は酔っぱらいがステップを踏んでいる光景でステップの音まで聞こえてくるような気がしたものでした。「街の楽士」は酔っぱらって鼻を赤くした楽士がバンジョーを弾いている画面で何事も放っておけと言っているように感じました。帰路は上野で下車して国立西洋美術館の常設展も見てみました。「聖ヴェロニカ」はイエスの顔が映った布を持った聖ヴェロニカが居て、頭には赤い布を巻きドレスも赤い色の布を着ています。「聖母子」は幼子を左手で抱く聖母がいて聖母の顔には優しさが一杯でした。エル・グレコの「十字架のキリスト」は磔になっているキリストを描いたもので、全てを諦めているような表情をしていました。フィリップ・ド・シャンペーニュの「マグダラのマリア」は祈りを捧げている女性像で敬虔さが感じられました。マリー・ガブリエル・カペの「自画像」は自信に満ちた若い作者の自画像で、自信に満ちた表情が見事に捉えられていました。ティツィアーノ・ヴェッチェリオと工房の「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」は豊満なサロメヨハネの首を銀の皿に乗せ差し出しています。サロメを観賞して国立西洋美術館を後にしました。