三菱一号館美術館で「画鬼暁斎展」を観賞しました。

 11時41分の快速新木場行きで移動を開始しました。車中では幸い座席を確保できたのでドミニック・ローホーさんの『屋根一つお茶一杯』(講談社)を読みました。その中にこんな言葉が有ります。「家の中では家族がそれぞれひとりになれる専門空間を確保したいものです。日本人の友人が、20歳まで暮らした彼女の実家の部屋について話してくれたとき、目を輝かせて言った言葉が「たった3畳なのよ!」でした。その部屋に彼女はベッドを入れ、小さな箪笥と炬燵を置いていました。部屋の角の隅にはテレビとステレオ。「私はこの空間が大好きで、一度も狭いと感じたことはなかったわ」と彼女は小さな自分のお城をなつかしみます。私たちが必要としているのは広さより、ひとりで落ち着ける自分だけの空間。」と有りました。赤羽で下車して11時57分の大船行きに乗り東京を目指します。東京で下車して丸の内南口を出てKITTEの前を歩くと煉瓦造りの建物が見えてきます。三菱一号館美術館で「画鬼暁斎展」を観賞しました。1500円のチケットを買って三階に上がると川鍋暁斎の「東京名所之内上野山内一覧之図」が有り桜の花が満開で様々な建物が立っていて、今とは違うような気がしました。川鍋暁斎の「枯木寒鴉図」は枯れた枝に鴉が止まっている構図で寒々とした印象を受けました。ジョサイア・コンドルの「霊照女・十得図」は左側に美人の霊照女が居て、右側にはふざけた様な十得が居て対称の可笑しさを感じました。川鍋暁斎の「松に鷹、昇る朝日の図」は松に止まった鷹が居て下から朝日が昇る構図で一日が始まるのだと思ったことでした。川鍋暁斎の「瀧、鷲に猿図」は瀧に滑り落ちていく猿を鷲が冷徹に眺めている画面で鷲に取っては猿が滝壺に落ちることはなんでもないことがろうと思ったことでした。川鍋暁斎の「金魚と遊ぶ小童図」は小さな桶の野中に入れた金魚を掴もうとしている少年たちを描いたもので楽しそうな表情をしています。帰路は東京ステーション・ギャラリーで「鴨居玲展踊り候らえ」を観賞しました。三階に上がると「夜(自画像)」が有り厳しい顔をした夜の中の自画像が有りました。「パリ近郊の教会」は教会に憧れた鴨居の心の動きを捉えたもので小さな教会が建っていて夕焼けに包まれて美しく見えました。「石(教会)」は教会の上に宙に石が浮かんでいる画面で宿命を暗示するものだと私は考えたものでした。二階に降りると「旅」が有り、バッグを手にして歩み出そうとする人物が描かれていて「人生は旅」と言う言葉を思い出したものでした。48番の「教会」は石で出来た巨大な建造物で下に十字架の影が有りそれが教会を暗示しているものと思ったことでした。「石の花」は愛し合う二人が抱き合って、石のように固まっていて、二人の抱擁が固いものである事を信じられました。「1983年2月3日私」は厳しい顔をした自画像で宿命を見つめているように感じました。