「交流するやきもの 九谷焼きの系譜と展開」を鑑賞しました。

 午後は12時1分の快速新木場行きで移動を開始しました。車中では幸い座席を確保できたので、ジャン・グルエニの『孤島』(竹内書店)を読みました。その中にこんな言葉が有ります。「この世界のすべてのものが普遍的に流れ去るなかにあって、死というものになんの重要性もおかないばかりか、生れてくることをいとも自然であり必然であると見なし、問題はむしろ生れないようにすることであると考える思想に、どのようにしてなじめばいいのか?われわれには、死後の生存を信じるための法律が必要であり、彼らには、生の消滅を信じるための法律が必要である。パスカル−−「頭上に一すくいの土、それで永久におさらば……」。仏教者ナーガセーナ、−−「人間はこの地上に生れ、ここに死ぬ。ここで死んで、人間は彼方に生れかわる、そしてそこに死ぬ、云々」。私の友コルネリウスは、私と彼のふたりベナレスのある通りを散歩していたとき、彼が私はついにインドを見ることができてよかったか、とたずねた。人間に無関心な土地を知ることは私には無関心であることを、彼は理解しないのであった。(いうまでもなく「コルネリウス」も「私」も想像上の人物である)と有りました。赤羽で下車して12時17分の快速大船行きで、東京に着いてJR東京駅丸の内北口改札前に急ぎます。東京ステーション・ギャラリーで「交流するやきもの九谷焼の系譜と展開」を観賞しました。先ず三階の会場に上がると古九谷「青手団扇散文鉢」が有り団扇に雲のようなものが描かれていて美しいですね。若杉窯「呉須赤絵写龍花鳥図平皿」は龍の周りに花と蝶が描かれています。吉田屋窯の「百合図平鉢」は一本の百合のが描かれていて葉の緑の色が濃く生き生きとしています。九谷庄三の「色絵花鳥図大平鉢」は五色の鳥が松の木の上に止まって周りに花が咲き乱れています。小野窯の「色絵山水図平皿」は切り立った山が見え、その下に家並みが見え、向こうに湖が見え、松も立っています。吉田屋窯の「梟に太湖石図平鉢」はパネルに寄ると、柏に梟という組み合わせは、夜に目を開けている梟の習性からの連想で、夜中も休まないで働く武士を象徴として、好んで工芸の意匠として用いられた。」と有りました。帰路は上野で下車して東京国立西洋美術館の常設展を観賞しました。ヤコボ・デル・セライオの「奉納祭壇画:聖三位一体:聖ヨハネと寄進者」ベルナルド・カッヴァリーノの「ヘラクルスとオンファレ」はヘラクルスとオンファレは天使アモールが見つめているので、これから二人が恋をする運命に有ると言うことでした。ヤーコブ・ファン・ロイスの「樫の森の道」ピエール=オーギュスト・ルノワールアルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)」やカミーユピサロの「「立ち話」などを楽しんで国立西洋美術館の常設展を後にしました。