『漱石の記号学』を読了しました。

石原千秋著『漱石記号学』(講談社選書メチエ)を読了しました。著者は自作について「あるテーマごとに漱石の小説を横断的に論じる」(p.252.)試みだと述べています。「漱石の方法」と題された序章に続いて、各章には「次男坊の記号学」、「長男の記号学」、「主婦の記号学」、「自我の記号学」、「神経衰弱の記号学」、「セクシャリティーの記号学」と各テーマが並び、最後に「方法としての東京」と題された終章で一冊の書物の最終ページが閉ざされます。「美禰子は、三四郎を挑発していたのではない。後ろに視線を感じながら、野々宮を挑発していたのだ。なぜか。野々宮が、美禰子との結婚に踏み切らないからである。三四郎は、もう拗(こじ)れてしまった野々宮と美禰子の別れの物語に、偶然横から首を突っ込んでしまった不幸な青年にすぎないのだ。これが「断片化」した美禰子の「断片」を拾い集めて出来る物語である。」(p.197.)・・・著者の方法も、漱石のテクストの「断片」をていねいに拾い集めて、さまざまなテーマ群という物語を作り上げることにあるようです。