漱石の詩学を語るのが夢ですね。

漱石の散文の中に書き込まれる詩的要素の分析は多くの研究者の方々が挑戦しています。『魔術としての文学』の著者の坂口曜子氏は漱石の散文を読んでいて半ば強制的に立ち止まらされてしまう読者の体験を「躓き」という言葉で表しました。例えば『門』の冒頭で縁側で日向ぼっこしている宗助の描写は「暖」の一語で統一されているような気がします。ここには描写に一種の強度が与えられているような印象を受けます。アラゴンは文章が「乗ってくる」状態を「言葉が熱狂する」という言い回しで表現しました。漱石の文章にも明らかに言葉が熱狂してくる部分があり、それをどのように分析するかが研究者の手練の見せ所になるのではないでしょうか。