人間の意識の「奇妙な狭さ」についてウィルソンが語っています。

takuzemi2008-06-10

コリン・ウィルソンの『賢者の石』(創元社推理文庫)の中に主人公の口を借りて作者が「人間の意識の奇妙な狭さ」を語る部分があります。人間の意識は日常の些事に追われていてレコード針がレコードの溝を擦り減らしているようなものだと言うのですね。対象に密着し過ぎているからレコードから流れ出てくる全体としての音楽の良さが分からないと言うのです。自分の人生の意味を理解するためにも余りに卑近な日常から離脱して、鼻先に密着しているレコードの溝を遠のいて「観る」必要があると強調します。こうした「意識の狭さ」は漱石の後期の作品に見事に描出されてると言えそうです。『彼岸過迄』の須永や『行人』の一郎はレコードの溝に鼻先を密着させて生きているレコード針のような人物ですから。(さてさて、私自身も時にそんな生き方に陥ってはいないかな?)

朝は自宅でそんなウィルソンの説をパワーポイントのスライドにまとめてみました。題して「原罪」です。それからブログを更新しようとしたら、「はてな」のサイトが重くなっています。どうやらメンテナンスが行われている様子です。更新は後回しにして出掛ける準備を調えました。
大学に着いて教育支援課実習係と入学課に出張の書類を届けました。それから早目の昼食を学生食堂で取りました。