『彼岸過迄』の「須永の話」の後半部分を精読しました。

 私は釜池豊秋先生の提唱する「糖質制限食」を実践して数年になります。それほど厳密に自分を縛っているわけではありません。御飯やうどんはさすがに食べませんが、時には蕎麦を食べてしまうこともあります。(K先生と出張で出掛けた郡山の駅で食べたお蕎麦の美味しさは忘れられません。)ところが蕎麦を食べようとすると家人が目を光らせています。「食べちゃおうかな」と言うと、ピシッとした調子で「よしなさい!」という返事が帰ってくるのですね。そんな訳で今日もほとんど完璧な糖質ゼロの昼食を取ることができました。
 午後も読書を続けました。漱石の『彼岸過迄』を本棚から引っ張りだして、「須永の話」の後半部分を精読しました。高木の出現を契機に須永が千代子に対して嫉妬を感じ始める部分からです。(須永の父親の不倫=須永自身の出生の秘密にシンクロする)小間使いの「作」(さく)の配置やアンドレーエフの『ゲダンケ』の配置などの構成の巧みさには舌を巻いてしまいます。今日は断片的な読書しかできませんでした。この作品はまた全編を精読したい一冊です。
 夕方も『歌仙の愉しみ』を読んだり、一人連句の句を考えたりと、怠惰な午後の時間を過ごしてしまいました。すでに十句ほどを読み上げています。恋句を出すあたりまで来ているのですね。前述の『歌仙の愉しみ』を読んでいたら、大御所の先生方も後から歌仙を手直ししている様子です。私の今までの流れをプリントアウトして、赤ペンで修正してみました。残念ながら今日はアラゴンについては一行も書けませんでした。ものを書く時間を持てただけで良しとしましょう。(今日読んだ本の写真です。とんでもないピンぼけになってしまいました。)