東京国立博物館の平成館で「クレオパトラとエジプトの王妃展」を観賞しました。

 午後は12時41分の快速新木場行きで移動を開始しました。車中では幸い座席を確保できたのでジャン・グルエニの『孤島』(竹内書店)を読みました。その中にこんな言葉が有ります。「なぜ旅をするのか、とあなたがたは人からたずねられる。旅は、つねにみなぎる十分な力の欠如を感じる人々にとって、日常生活で眠ってしまった感情を呼びさますに必要な刺戟になることがあるだろう。そんなとき、一か月のうちに、一年のうちに、一ダースあまりのめずらしい感覚を体得するために、人は旅をする。私がここでいうめずらしい感覚とは、あなたがたのなかに、あの内的な歌−−その歌がなければ感じられるものもすべてがつまらない−−をかきたてることができるようなものをさすのである。」と有りました。赤羽で下車して12時53分の快速鎌田行きに乗り上野を目指します。上野で下車して、東京国立博物館の平成館で「クレオパトラとエジプトの王妃展」を観賞しました。これで二度目となるのですが、「クレオパトラの像」が有り右手には毒蛇が絡みついて、自ら命を絶った画面を良く現わしていました。「王妃ヘテプレス2世と其の娘メレスアンク3世」が有り二人とも良く似た表情をしていて娘のメレスアンク3世はアル=ギザにピラミッドを築いたカフラー王の王妃と考えられている。」と有りました。「ジェドエフラー王と王妃ケンティカ」は足が無い像で、王に寄り添うように膝をつく王妃ケンティカが表現されていました。「セクメト女神」の立像が有り、牝ライオンの頭をしたセクメト女神は、戦いを司る女神として一方、病を癒す女神としての二面ももっている。これらの像は、アメンホテプ3世の葬祭殿やムトウ神殿にあったと考えられる。」と有りました。「敵を打ち据えるメルエンプタハ王のレリーフ」が有り、メルエンプタハ王が戦闘用の斧を振りかざし、王の愛犬が躍り掛かっています。かなり残忍な光景でした。「ハープ奏者と召使」はパネルに寄ると宴を描いた壁画の一部で、客人に飲物を給仕する女性が描かれている。左にはハープ奏者の手が確認できる。貴族の宴では、客人のために音楽の演奏や舞踏が催され、ワインやビールなどが供された。」と有りました。第二会場に入ると「ハトルフ女神をかたどった柱頭」が有り花崗岩の柱頭でハトルフ女神、美や音楽の神として信仰された。「アメンホテプ神妻のスフィンクス」は牛の付いた鐘を持っています。国立西洋美術館の常設展モシニアは無料で見られるので見てみました。15世紀フィレンツェ派「聖ヴェロニカ」14世紀「聖ミカエルと龍」、ピエール=オーギュスト・ルノワールアルジェリア風のパリの女たち(ハーレム)」やカミーユピサロの「立ち話」などを楽しんで国立西洋美術館の常設展を後にしました。

いつものように地下の貯蔵室にごみを捨ててから、ホールで新聞を取って自室に戻ります。

takuzemi2015-07-31

 いつものように地下の貯蔵室にごみを捨ててから、ホールで新聞を取って自室に戻ります。「しつもん! ドラえもん」の質問は「はなび編」で「小さな花火がパチパチ飛び散る線香花火。なぜ、線香という名前なの?」と有り、よくよく考えたらさっぱり分かりませんでした。新聞を開いて答えを探したら「昔は線香のように立てて楽しんだから」と有り、解説には「稲わらの先に火薬を付けた花火を香炉に立てて遊んだのがはじまりなんだ。改良して行く中で、火の玉を下に向ける今の形になったんだね。」と分かりやすい解説が有りました。それから夏目漱石の『それから』を切り抜いてファイルに投げ込んでおきます。「代助の方では、もういうべき事をいい尽くしたような気がした。少なくとも、これより進んで、梅子に自分を説明しようという考えはまるでなかった。」(中略)「貴方の知らない間に、縁談がどれだけ進んだのか、私にも能
く分からないけれど、誰にしたって、貴方が、そう的確御断りなさろうとは思い掛けないんですもの」と梅子は漸くにしていいった。「何故です」と代助は冷やかに落ち付いて聞いた。梅子は眉を動かした。「何故ですって聞いたって理屈じゃありませんよ」「理屈でなくっても構わないから話して下さい」(中略)「だって、貴方に好いたのがあればですけど、そんなのは日本中探して歩いたってないんじゃありませんか」「どうして、それが分かります」(中略)「代助は蒼白くなった額を嫂の傍へ寄せた。「姉さん、私は好いた女があるんです」と低い声でいい切った。」と有りました。
 良く晴れた青空が広がっています。今日も暑くなりそうですね。6時50分に家を出て散歩に出掛けました。先ずはプチ・パワースポットの沼影観音堂を目指します。六地蔵様を拝んでから本堂の銅鑼を叩いて合掌をしておきました。武蔵浦和の駅まで引き返して別所沼を目指します。駅前の自動販売機で冷たいお茶を買い一口飲んでそのまま散歩を続けます。別所沼に着いたらランニングやウォーキングを楽しむ市民が市民が大勢居ました。いつものように長谷川かな女の句碑「曼珠沙華あつまり丘をうかせけり」を味わってから埼玉県原爆死没者慰霊の碑に合掌し別所沼弁財天に賽銭を入れて柏手を打っておきました。風の神エベーカトル・ケッツアルコアトルに挨拶をしておきました。ブランコに乗って空中を浮遊する感覚を楽しみました。自宅に帰って能率手帳改めNOLTYに別所沼3000歩と書いておきました。

東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館で「旅の風景 安野光雅 ミーロッパ周遊旅行」を観賞しました。

 午後は12時21分の快速新木場行きで移動を開始しました。車中では幸い座席を確保できたので。ジャン・グルエニの『孤島』(竹内書店)を読みました。その中にこんな言葉が有ります。「イタリアのある古い町の郊外に住んでいたとき、私は家にかえろうとして、とある狭い路地をたどった。舗装がわるく、非常に高い二つの塀のあいだにはさまれた。窮屈な路地だった。(「平野のまんなか」でなら、そんな高い塀を人は考えつかない)。季節は四月か五月だった。路地がまがっているかどのところで、ジャスミンとリラのつよい匂いが私の上にふりかかってきた。壁面にかくれていて、花は私には見えなかった。しかしその花の香を吸うために、私は長く立ちどまっていた。そして私の夜は、その匂いで香ぐわしかった。自分が愛する花をそんなにひたかくしに閉じこめている人たちを、私はどんなに理解しただろう!愛の情熱は、そのまわりに要塞をのぞむ。そのとき私は、あらゆるものを美しくする秘密をあがめた。そうした秘密がなければ幸福はないのだ。」と有りました。新宿で下車して東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館で「旅の風景 安野光雅 ミーロッパ周遊旅行」を観賞しました。シニア料金の800円を支払って42階に上がると「マルチェジーネ・ガルダ湖」が有り青く澄んだ湖が有り、山々に囲まれてひっそりしています。「ドゥオモ広場」は歴史を重ねたドゥオモ広場が有り重々しさが感じられました。「シエナ」は赤い屋根が連なっていて、その向こうに教会らしき建物が有り赤い屋根を引き立てていました。「アッシジ」は教会や家々が山の斜面に寄り添うように建ち並び、緑に覆われた中に家々が建っているのも美しいですね。「マテーラ」はパネルに寄ると石灰質の岩山を裂いた河を挟む峡谷の崖へ回れば谷を隔てて町を一望できる、という関係にある。と有りました。「マッターホルン」は青い岸壁が聳え下の方に湖が見え岸辺には家々が建ち並び絵のような光景です。「マイエンフェルト」は牧歌的な光景で緑に包まれた中に家々が有り、放牧された牛たちがいます。緑が美しいですね。収蔵品コーナーではグランマ・モーゼスの「さぁ、ボートに乗りに行こう」、同じ作者の「丘の秋」同じ作者の「ワゥ!(とまれ!)」、ホール・セザンヌの「リンゴとナプキン」、フィンセント・ファン・ゴッホの「ひまわり」、ポール・ゴーガンの「アリスカンの並木道、アルル」東郷青児の「若い日の思い出」、同じ作者の「花と虹」、同じ作者の「花と少女」などを楽しんで東郷青児記念損保ジャパン日本興亜美術館を後にしました。

いつものように地下の貯蔵室にごみを捨ててから、ホールで新聞を取って自室に戻ります。

takuzemi2015-07-30

 いつものように地下の貯蔵室にごみを捨ててから、ホールで新聞を取って自室に戻ります。「しつもん! ドラえもん」の質問は「はなび編」で「打ち上げ花火は名前で様子が想像できるよ。光の粒が広がる花火の名前は?」と有り「ナイアガラの滝だと思ったのですが、新聞を開いて答えを探したら答えを探したら、答えは全く違っていました。答えは「菊」と有り、解説には「尾を引かないのは「牡丹」例えば「昇小花付紅牡丹」なら、玉が小さな花火を咲かせながら昇り、開くと赤い牡丹が大きく広がるよ。」と具体的な解説が有りました。それから夏目漱石の『それから』を切り抜いてファイルに投げ込んでおきます。「けれども、代助の精神は、結婚謝絶と、その謝絶に次いで起こるべき、三千代と自分の関係にばかり注がれていた。」(中略)「代さん、貴方今日はどうかしているのね」としまいに梅子がいった。」(中略)「代助は黙って考えた。しばらくしてから、姉さんといった。梅子はその深い調子に驚かされて、改めて代助の顔を見た。代助は同じ調子でなおいった。「僕は今度の縁談を断わろうと思う。代助の巻烟草を持った手が少し蠕えた。梅子はむしろ表情を失った顔付をして、謝絶の言葉を聞いた。代助は相手の様子に頓着なく進行した。(中略)「話がどこまで進んでいようと、僕はまだ貰いますといった事はありません」「けれども判然貰わないとも仰しゃらなかったでしょう」「それを今いいにきたんです」「代助と梅子は向かい合ったなり、しばらく黙った。」と有りました。
 良く晴れた青空が広がっています。気分が良いですね。先ずはプチ・ポワースポットの沼影観音堂を目指します。六地蔵様を拝んでから本堂の銅鑼を叩いて合掌をしておきました。武蔵浦和の駅まで引き返して別所沼を目指します。駅前の自動販売機で冷たいお茶を買い一口飲んでそのまま散歩を続けます。別所沼に着いたらランニングやウォーキングを楽しむ市民が市民が大勢居ました。いつものように長谷川かな女の句碑「曼珠沙華あつまり丘をうかせけり」を味わってから埼玉県原爆死没者慰霊の碑に合掌し別所沼弁財天に賽銭を入れて柏手を打っておきました。風の神エベーカトル・ケッツアルコアトルに挨拶をしておきました。ブランコに乗って空中を浮遊する感覚を楽しみました。同じマンションに住むノッポさんとお会いして挨拶を交わしておきました。帰路の「花と緑の散歩道」では紋黄蝶を見掛けました。自宅に帰って能率手帳改めNOLTYに別所沼3000歩と書いておきました。

山種美術館で「前田青邨と日本美術院−−大観・古径・御舟−−」を観賞しました。

 午後は12時1分の快速新木場行きで移動を開始しました。車中では幸い座席を確保できたのでドミニック・ローホーさんの『屋根一つお茶一杯』(講談社)を読みました。その中にこんな言葉が有ります。「沈黙は、精神科医ユングにとっては宇宙との融合を意味していました。沈黙を愛する理由はほかにもいくらでもあります。働きすぎや疲労困憊のとき、私たちを安らぎの世界へ誘い、守ってくれるのがこの沈黙です。沈黙を保ち、その中で私たちは、周囲や自分に捧げるために必要な資源を汲み上げるのです。また、この沈黙の中でのみ、自分の姿を見つけだし、創造力や哲学的思考を養い、新たな自分に生れ変わることができるといっていいでしょう。」と有りました。恵比寿で下車して山種美術館に向います。山種美術館で「前田青邨日本美術院−−大観・古径・御舟−−」を観賞しました。地下一階の会場に入ると前田青邨の「異装行列の信長」が有りパネルに寄ると「若き織田信長が妻の父である斉藤道三のとの体面に向う姿を描く、信長は奇抜な振舞いで知られた、この日も髪は茶筅のように結い、湯帷子の袖を外し、火燧袋や瓢箪を付け、虎と豹の皮の半袴を穿いてやってきた。ところが到着するとすぐに正装に着替えて登場し、道三たちを感心させたという、なかなか立派な話でした。橋本雅邦の「日本武尊像」は松の下に立派に立っている日本武尊像で大地をしっかりと踏みつけていました。橋本雅邦の「一葉観音」は穏やかな表情をした観音様で落ち着き払っています。小堀鞆音の「那須宗隆射扇図」は那須宗隆平氏方の舟に乗った女房の扇を射落としそうと狙いを定めている所でした。小林古径の「草合わせ」は二人の少女が採集した草の種類や計上などによって優劣を競う遊びで、左の少女は薄絹の来て、右の少女は十二単の様なものを着ていました。古村古径の「弥勒」は岸壁に弥勒の像が立てられていて上には松が有り下には白い花が咲いていて一服の清涼感を感じたものでした。奥村土牛の「子牛」はしっかり踏ん張った子牛の姿でユーモラスな作品でした。前田青邨の「鶺鴒」は海を飛び越えている鶺鴒が一匹居てなかなか勇敢だと感じたものでした。月岡栄貴の「鉢かつぎ姫」は鉢を被ろうとしている姫の姿で長い髪を伸ばしています。山種美術館コレクションに入ると速水御舟の「炎舞」が有り友人の岩佐倫太郎君の『印象派琳派がわかれば絵画が分かる』(舵社)で何度も見ているのですが、実際に見るのはこれが始めてなので、嬉しくなったものでした。

いつものように地下の貯蔵室にごみを捨ててから、ホールで新聞を取って自室に戻ります。

takuzemi2015-07-29

 いつものように地下の貯蔵室にごみを捨ててから、ホールで新聞を取って自室に戻ります。「しつもん! ドラえもん」の質問は「はなび編」で「手持ち花火やねずみ花火などお店で買える小型の花火。最も多く作っている県はどこ?」と有り、全く分かりませんでした。新聞を開いて答えを探したら答えを探したら答えは「愛知県」と有り、解説には「徳川家康が生れた岡崎市周辺で全国の4割が作られている。外国人が家康に花火を見せたのがきっかけで、日本に花火がひろがったと言われているよ。」と詳しい解説が有りました。それから、夏目漱石の『それから』を切り抜いてファイルに投げ込んでおきます。「こう決心した翌日、代助は久しぶりに髪を刈って髭を剃った。梅雨に入って二、三日凄まじく降った揚句なので、地面にも、木の枝にも、埃らしいものは悉くしっとりと静まっていた。」(中略)「代助は床屋の鏡で、わが姿を映しながら、例の如くふっくらした?を撫でて、今日から積極的生活に入るのだと思った。」(中略)「代助はいきなり梅子の前へ坐った。「御父さんはいますか」嫂は返事する前に、一応代助の様子を、試験官の眼で見た。「代さん、少し痩せたようじゃありませんか」といった。代助はまた?を撫でて、そんな事もないだろう」と打ち消した。」(中略)「すると梅子は忽ち、何ですって」と切り込むようにいった。」(中略)「だから、貴方が奥さんを御貰いなすったら、終始宅にばかりにいて、たんと可愛がって御上げなさいな」といった。代助は始めて相手が梅子であって、自分が平生の代助でなかった事を自覚した。それでなるべく不断の調子を出そうと力めた。」と有りました。
 雲が多い空が広がっています。日中は晴れると言う予報で安心して散歩に出掛けられます。先ずはプチ・ポワースポットの沼影観音堂を目指します。六地蔵様を拝んでから本堂の銅鑼を叩いて合掌をしておきました。武蔵浦和の駅まで引き返して別所沼を目指します。駅前の自動販売機で冷たいお茶を買い一口飲んでそのまま散歩を続けます。「花と緑の散歩道」の看板には行方不明になった三毛猫を探すようにとの張り紙が有りました。別所沼に着いたらランニングやウォーキングを楽しむ市民が市民が大勢居ました。いつものように長谷川かな女の句碑「曼珠沙華あつまり丘をうかせけり」を味わってから埼玉県原爆死没者慰霊の碑に合掌し別所沼弁財天に賽銭を入れて柏手を打っておきました。風の神エベーカトル・ケッツアルコアトルに挨拶をしておきました。ブランコに乗って空中を浮遊する感覚を楽しみました。自宅に帰って能率手帳改めNOLTYに別所沼3000歩と書いておきました。

東京都美術館で「伝説の洋画家たち」を観賞しました。

 12時1分の快速新木場行きで移動を開始しました。車中では車中では幸い座席を確保できたのでジャン・グルエニの『孤島』(竹内書店)を読みました。その中にこんな言葉が有ります。「長年、私は猫をほしいと思っていた。−−研究のあいまに私の相手をしてくれて、私の恒常の思想、私の唯一の幸福を形成しているものに、私をもっとたびたび近づけてくれるような猫を。おそらく、私の生来の感情に従ったならば、むしろ犬をえらんだであろう。私の生活をめぐってそそがれる犬の熱意、その態度の率直さ、そのはずむ心は、それが人間においても愛すべきものであると私に信じさせたであろう。」と有りました。赤羽で下車して12時14分の快速磯子行きに乗り上野を目指します。上野で下車して東京都美術館で「伝説の洋画家たち」を観賞しました。柳敬助の「白シャツの男」が有り白いシャツと赤い蝶ネクタイを付けたハイカラな青年が絵か描かれていて、なかなか美貌の男でした。村山槐多の「庭園の少女」は卓越した独特のデッサンとほの暗い色調や陰影の形を持って描かれていて落ち付いた雰囲気の作品となっています。松岡正雄の「村の子供達」は元気そうな少年達が四人居て故郷の奈良県宇陀郡榛原町で近所の子供達を描いた作品で、田辺至に西洋画科の学生に見せるよう勧められるほど感心されたと有りました。K.ジェレニェウスキーの「春」はパネルに寄るとロシア生まれのポーランド人画家で湖の辺に家々が建ち並び向こうに山が見えて感動するような美しい風景です。国枝金三の「都会風景」はパネルに寄ると研究所の窓から信濃橋の交差点と奥に伸びる本町筋を描いている、写生カリキュラムの一環として手本をなっていました。示したのかも知れない。有りました。一階に上がると佐伯祐三の「リュ・ブランシオン」が有り左側に建物が有り、右には並木が有り美しい光景です。里見勝蔵の「女」は赤い頰をした女で乳房も剥き出しにしている女で背景には黒と白が描かれていて頰の赤を引き立てていました。野間仁根の「ぜ・ふうむるん」はドレス姿の女性、日本髪の着物の女性、馬、馬にまたがるシルクハットの男性、鳥や花などを描き込まれていて楽しい画面になっていました。「キュッパのびじゅつかん」も観賞しました。山本コレクション世界タイル博物館が有り草花や鳥がいて楽しかったですね。国立西洋美術館の常設展もシニアは無料で見られるので見てみました。ティツィアーノ・ベッチェエオと工房「洗礼者ヨハネの首を持つサロメ」ベーテル・パウルルーベンスの「豊穣」同じ作者の「眠る二人の子供」などを楽しんで国立西洋美術館の常設展を後にしました。